2011年3月6日日曜日

ルラックのクリエイティブMISSION: 地産地消の取材を終えて_MISSION:23

ルラックのクリエイティブMISSION: 地産地消の取材を終えて_MISSION:23: "MISSION,19で地産地消について記載した。今回は、その後日談である。取材を終え、そろそろ地元グルメという冊子が完成を迎え、相鉄沿線のラックに置かれる頃だ。ご自身の顔や言葉がどういう具合になって掲載されるのかと、ご協力いただいた方の中には楽しみに思ってくださっている方も..."

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地産地消の取材を終えて_MISSION:23

MISSION,19で地産地消について記載した。今回は、その後日談である。
取材を終え、そろそろ地元グルメという冊子が完成を迎え、相鉄沿線のラックに置かれる頃だ。ご自身の顔や言葉がどういう具合になって掲載されるのかと、ご協力いただいた方の中には楽しみに思ってくださっている方もいらっしゃるかもしれない。そう思えるほど、今回出会った方々はピュアな人が多かった。
ある農家では、新しい野菜づくりに取り組んで、そのおいしさ・強さ・糖度など、あらゆる面で試行錯誤を重ねていた。またある農家では、自家製トマトケチャップなどの加工品づくりにも着手していた。畜産業では、ブランディングに成功して海外からもその手腕を後押しされる方もいた。酒造では、米作りから自家製にこだわり、ここにしかない酒が完成されていた。みんな生き生きと農業に取り組んで、いい顔を見せてくれた。
こうした野菜や食材を販売するルート、ショップには行政が敏腕を奮っていた。そう、どんなにいいものが作られていても販売できるところがなければそれまでなのだ。そこにきちんと行政が着手して、町のみんなの手に届くようになっていた。
しかも、野菜などの素材だけではなく、こうした素材を加工したお総菜も販売されていた。
今回取材させていただいたのは神奈川のある地域のみだが、ここでは農家も行政も一緒になって頑張っていた。
そういえば、私が子供の頃は、祖母の家に遊びに行くと近所の農家のおばさんが野菜を持ってきてくれていた。昔は、地産地消が当たり前だったのだろう。地元農家でとれた野菜などは、いただくことも多かったようだ。みんな持ちつ持たれつで生活していた時代もあったのだ。それが形を変えて整備され、システム化されて、今、地産地消という名で蘇った。
しかし、ショップに聞いてみると・・・、お話のつづきは!⇒<今回のMISSION:取材時におけるクリエーターの視点とは・・・> 
クリエイティブに関しての質問がありましたら、 ご連絡ください。  
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